同窓生紹介 ~小林香さん~

2017年10月03日(火)

福島高校卒業の同窓生の皆さんを紹介していく、
「梅高生、決断の時」

第一弾は、第十二代福島市長・小林香さん(高29回卒)です。
公務が大変お忙しい中を、梅苑会館においでいただき、お話をきかせていただきました。

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-お忙しい中をありがとうございます。まずは高校時代のことや、高校時代に考えていた将来の目標など聞かせてください。

小林:「中学時代から、将来は弁護士になる!と心に決めていました。運動も好きでしたから高校ではサッカー部に入りましたが、
入部前からサッカーは1年だけと予定していました。
当時住んでいたのは保原町でも福島市に近い場所でしたが、自宅から高校までは山道を含んで片道11kmあり、保原町のまちなかの病院によって帰ったりすると、往復で30km近くになりました。
自転車通学でしたが、やはり疲れましたね。
1年での退部、ということで多少迷いがなかったわけではないですが、『弁護士』という目標がありましたから、それに向かって自分で決めた三年間を過ごそうと決断しました。

-高校入学前からの目標に向かって、真っすぐに進んだ高校時代ということですね。高校時代の思い出などはいかがでしょうか。

kobayashi006梅苑祭は楽しかったですね。
三年生の時、梅苑祭の仮装行列で優勝しました。「三年四組」だったので、「三四郎」がテーマでした。夏目漱石の小説「三四郎」プラス、もうひとつは「姿三四郎」からのテーマだったと思います。
私も、三四郎の活躍した明治時代の古い学生服の装束をして、練り歩きました。もちろん、福女(現:橘高校)の脇の道も歩きましたよ。(笑)
今もそうでしょうけれど、仲間と一緒に毎日ひとつの目標に向かったあの梅苑祭の時期は、とても楽しく素晴らしい時間でした。

それから高校時代の思い出は、高校一年、15歳の時に自転車で東北一周したことですね。
福島から宮城を通って平泉~十和田湖~秋田~山形と巡り、合計約1,200km。5泊6日の旅でした。
私は、計画を立ててそれを実行するということが大好きで、実はこの東北一周も高校入学前から予定を立てていました。
一年生の夏休みに行こう。と。
ところが、当時は夏休みに旅行する時は高校に申請をして許可を頂かなくてはならず、当然ながら「許可できない」と言われましてね。
まぁ、当然なんですが。。
困っていると先生が「学校としては許可できないけれど、お前が行くっていうならばそれは止められないよな。」とつぶやいたものですから、
「それならば行きます」と、、、(笑)
この話には、続きがあります。
51歳の時に、「奥の細道」を、東京の深川から福島市の文知摺観音まで歩きました。週末を利用して、25回くらいに分けて徒歩で歩きました。
歩き終えたときは52歳になっていました。

自転車旅行も同じですが、目標をもってそれに向かうことは大切ですが、やれるときにやっておくということも大切です。
後輩の皆さんも、今がやるときだ!と思ったら、そこで思い切っていろいろなことをやってみてください。

-大学は中央大学法学部でした

kobayashi004実は私、中央大学法律学部法律学科は二回合格しているんです。
最初に合格した年は、国立大学に行きたいと思っていたので、合格後に入学手続きをしなかったのです。
今から思えば、手続きだけはしておけばよかったと思いますね(笑)
ともあれ、法学部に入学したということで、自分の目標に一歩近づいた気持ちでした。懸命に勉強しました。
そして司法試験を受けるわけですが、択一式試験と論文試験があり、択一式試験は問題ないのですが、どうも論文試験がうまくいかない。
そうこうしているうちに、『弁護士も魅力的な仕事だけれども、日本という国家を動かす、国家公務員という仕事も素晴らしい』と考えるようになりました。
国家公務員の試験というのは、司法試験の勉強と共通している部分も多かったので、決して易しいというわけではないですが、進路を変更しやすいということではありました。
とはいえ、私にとっては人生で最初の大きな決断をする、まさに転機でした。

-大蔵省から環境省に出向され、国家公務員として、お忙しい日々をお送りされる中で東日本大震災に遭われた。

そうですね。あの日、3月11日は、八戸の国立公園候補地を視察するところでした。急遽仙台に車で戻り(当時は環境省東北地方環境事務所長)翌日から4か月に渡り被災地の支援に対応しました。
7月からはアスベストの被害者救済の担当になったため(独立行政法人環境再生保全機構の石綿健康被害救済部部長に就任)、震災対応から離れました。
国家公務員の職も非常に重要です。命を削って働いているといっても過言ではありません。
しかし、福島出身者としては毎日がもどかしく感じました。震災後に苦しむ地元のために、自分ができることはないだろうかと。
それで、故郷に戻り、苦しんでいる福島市民のみなさんのためにと、人生で最大の決断として、平成25年に市長選に出馬させていただいたのです。

kobayashi005-大きな転機でした。

私の人生には、お話ししたように二度の大きな決断の時がありました。

1つは、司法試験から国家公務員試験、弁護士から国家公務員へと進路を変更したこと。
2つめは国家公務員から福島市長選へ出馬したことです。
特に市長選への出馬は、家族や自分の将来を考えれば、なんの地盤もない自分にとっては、人生最大の決断の時でした。

人生において目標を持つことは大事なことで、それに向かって計画を立てて進んでいくということは重要です。
人は目標に向かってまい進する過程で、勉強をし努力をします。そのために生きているといえます。
ですが、人の人生には必ず転機や岐路があります。
それは、突然やってきます。どこにあるのかは、まったくわからない。
その時に大切なのは「柔軟性」です。
転機や岐路というのは、懸命に努力してきたからこそ開けた「別の道」と考えることもできます。
それまでの道から方向転換して、また進んでいくという柔軟性を持つとこもまた、非常に大切なことです。

若い同窓生の皆さん、志を持った大きな目標と、一途な努力、そして柔軟性。これらに基づいた決断で、人生を歩んでください。

-ありがとうございました。最後に、同窓会について

福島高校には太宰府天満宮から贈られた、梅の木があります。
同窓生の皆さんと同窓会のネットワークの力の賜物とうかがっております。
この梅の木は福島高校だけのものではなく、福島市民全員に贈られたものだと思っています。
今後も福島高校、福島高校同窓会は全国と福島市の連携の懸け橋として存在していければ素晴らしいですね。