それから3年後の平成26年2月28日、福岡県太宰府市の太宰府天満宮から恵与された5本の梅の若木の植樹式が本校正門脇の前で行われた。
創立115年を迎えた平成25年度(2013年度)卒業式の前日だった。
「飛梅(とびうめ)」伝説と学間の神様として知られる太宰府天満宮の神苑の梅が、神社関係以外に恵与されたのは天満宮の歴史上極めて異例の出来事だったため、海外も含めた多くのメディアに取り上げられ、後に中学1年生の道徳の教科書にも掲載された。
誰も想像できなかった奇跡が実現した背景には、東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所事故という未曽有の災害に見舞われながらも、懸命に学業に励む在校生を応援したいという同窓生と同窓会の熱い想いがあった。
一人一人の小さな想いが人と人の縁をつなぎ、母校の学び舎に新たなシンボルを誕生させた。
これは、、大震災後に入学、卒業まで仮校舎で耐えた卒業生に梅章健児の誇りを・・・と
立ち上がった33回卒業生(燦々会)。
創立120周年記念誌に掲載された内容を基に、「大宰府の梅」恵与に携った高校33回卒(燦々会)のメンバーと、それを支えた多くの人々が繋げた軌跡と奇跡。絆の物語です。
第1章 平成の軌跡実現へ
奇跡のきっかけを作ったのは高校33回卒(昭昭和56年3月卒)の同窓生で作る「燦々会」だった。
燦々会は母校創立110周年の年(平成20年)、卒業後初の学年全体同窓会を四十歳半ばで開いた。
その後、地元の同級生らを中心に定期的に親睦会を開くようになる。ちょうどそれぞれの子どもが高校生となる時期と重なっていた。
それまでの10年間で父母と教師の会(PTA)会長を篠木雄司、吉成健二、渡辺健二、関根英樹、半澤裕介の5人が務めている。
同窓会理事にも就き、母校と同窓会双方と密接に関係していた。
平成23年(2011年)3月11日の東日本大震災の発生で、本校校舎は大きな被害を受ける。
3、4棟は使用できなくり、二つの体育館は浜通りからの避難者であふれた。
入学式は震災のため例年より約半月遅れの4月19日となり、平成23年度入学生は仕切られた体育館が教室となった。
校舎の東側に仮設校舎が作られ、生徒は仮設校舎で不自由な学校生活を強いられた。
燦々会の親睦会は震災後も2、3カ月に一度の割合で続いており、PTA役員を務める同級生から母校の様子は随時伝わっていた。
震災後2年目の平成24年度は父母と教師の会で関根英樹が会長、既に会長を務めた篠木が幹事を務めていた。
平成24年度の半ばを過ぎたころ、解体する3、4号棟に新たなL字型の校舎を再建し、平成25年度末(平成26年3月)までに引き渡されるという日程が明らかになる。
燦々会の親睦会の席上で校舎再建の予定や母校の状況が詳細に報告された。
すると、会の中から震災後の不自由な環境の中で懸命に努力する子どもたちのために自分たちで何かできないかが話題となった。
梅を徽章とする母校だけに、梅の苗木を贈ろうという話が持ち上がる。
最初は「小さな梅の苗木を10本くらい購入し、L字型の校舎の中庭に植えようか」程度の話だった。
しかし、夜の会合だけに次第に話は大きくなっていく。
どうせ贈るなら「日本一の梅を贈ろう」と盛り上がっていった。
それぞれのつてを使い全国の有名な梅にあたることになった。
そのような中、篠木雄司は直接、九州の太宰府天満宮を訪ねた。
篠木は当時、被災者の声や震災と原発事故への県民の思いをまとめて一冊の詩集にした「こころの幻燈会」を出版し、配布していた。
本を携え、太宰府天満宮の門をたたいたが、当初は「過去に例はなく、ありえない」と一蹴される。
しかし、「もしどうしてもというなら、正式なルートを通して頼んでみては」というアドバイスをもらってきた。
篠木は、燦々会の会合で経緯を説明した。
「正式なルートは何か」が話題となり、母校の先輩である福島稲荷神社宮司の丹治正博(高26回卒)の名前があがる。
丹治は福島県神社庁長も務めていた。
すぐに篠木と関根の二人が燦々会を代表して丹治を訪ねた。
丹治も最初は、「まず無理だろう」という見方を示した。
しかし、大変な環境で未来に向かって歩む後輩のために一肌脱ぐことを約束する。
すると、話はとんとん拍子で進み始めた。
実は丹治と太宰府天満宮の西高辻信良宮司は二期違いの慶応大学の後輩、先輩のうえ、神道青年全国協議会で副会長と会長の間柄だった。
深く関係した古くからの知人だった。
丹治は高校の後輩のために、思いの限りを手紙にしたため、「梅の若木恵与の御願い」を趣意書とともに先輩の西高辻宮司に送った。
誰も予想もしなかった奇跡のような縁がそこにあった。
話が本格化し始めると、燦々会は逆に焦り始めた。
聞くところによると、太宰府天満宮からの神社関係以外への恵与は、かつて皇室の別荘である葉山御用邸へ贈った例があるだけ。
だがそれは元々葉山御用邸から太宰府に納められた「皇后の梅」の若木を戻す話だった。
しかも、若木輸送にコンテナを使い、運送費だけで100万円はかかったという。
「自分たちだけでは難しい。同窓会の力と協力がなければせっかくの話も実現できない」。
悟った燦々会は当時の同窓会長の川崎眞二(高11回卒)に相談することにした。
自宅を訪れ、趣旨と経緯を説明すると、川崎は目を輝かせ、「それはいいですね。次の理事会で提案しましょう」と快諾した。
川崎の後押しで、さらに話は進展する。
同窓会役員会で説明を受けた各役員は満場一致で協力を決めた。
すぐに、実現に向けて必要な同窓生を紹介したり、協力を申し出たりした。
ここに、菅原道真公を追って一夜のうちに京都から太宰府に飛んだという「飛梅」伝説にちなんだ、「平成の飛梅プロジェクト」が本格的に始動した。
主な経緯 平成20年~25年
| 日付 | 主な出来事 |
|---|---|
| 平成20年8月9日 | 高33回卒が創立110周年に合わせて学年同窓会(燦々会)を開く。 |
| 平成21年12月20日 | 燦々会の医大分校慰問始まる。 |
| 平成23年3月11日 | 東日本大震災発生。校舎の半分が使用できなくなる。 |
| 平成23年4月19日 | 新入生入学式。体育館が教室となる。 |
| 平成23年8月 | 仮校舎が完成。1、2年生は仮設校舎が教室となる。 |
| 平成24年12月13日 | 燦々会が5回目の医大分校慰問。反省会で校舎再建の話が伝わる。 |
| 平成25年3月 | 燦々会親睦会で、梅の苗木贈呈の話がもちあがる。 |
| 平成25年6月30日 | 篠木が「こころの幻燈会」を持って太宰府天満宮を突然訪ねる。社報「飛梅」編集長の松尾権禰宜が受け取る。 |
| 平成25年7月 | 燦々会の反省会で、「正式ルート」が話題となる。稲荷神社の丹治宮司を訪ねる。 |
| 平成25年8月 | 丹治宮司から返答があり、川崎会長へ相談する。 |
| 平成25年8月10日 | 高33回卒の2回目の学年全体同窓会開催。飛梅プロジェクトについて報告。 |
| 平成25年10月18日 | 同窓会役員会で理事に説明。協力態勢できあがる。 |
| 平成25年11月29日 | 同窓会総会で飛梅プロジェクト承認。 |
第2章 平成の飛梅プロジェクト
平成26年(2014年)1月5日、福島民報の社会面に「学問の神様の梅/福高へ」の見出しが躍った。
ニュースは時事通信で全国に配信され、英字新聞にも掲載された。
いよいよ5本の梅が約1,400キロの道のりを乗り越え福島高校にやってくることとなった。
恵与に関する調整を太宰府天満宮側は毛利清彦権禰宜(ねぎ)、福島高校側は同窓会事務局長の今関達也(高28回卒)が担った。
待ち受ける福島高校では、こころネット社長の斎藤高紀(高18回卒)の協力で、植栽場所を調え、会津地方産の自然石を用いた記念碑を据えた。

記念碑に記載された文は、稲荷神社宮司の丹治の趣意書などを参考に、後援会長を務めていた燦々会の関根がまとめた。
輸送は福島運送社長の伊藤幹夫(高20回卒)の尽力で、大型トラックが福島市と太宰府市の往復を担った。
2月17日に太宰府天満宮で行われた「恵与祭」には本校から校長の本間稔、同窓会長の川崎、同窓会事務局長の今関、後援会長の関根、燦々会代表幹事の篠木の5人が出席した。
贈られた5本は、いずれも15年から20年のもので、天満宮内の約6,000本の梅の木の中から神苑管理を担当する古賀義悟、中島紀寿、大本順の造園技能士が厳選した若木だった。
くしくも高校生とほぼ同じ樹齢だった。
恵与祭で梅を受け取りに行く5人は天満宮へ出発する16日に福島市で記録的な大雪に見舞われた。
校長の本間が飛行機に間に合わずに新幹線を乗り継いで到着したり、受け取りに向かうトラックがその日は福島を出発できなかったりなどのアクシデントがあった。
しかし、苦難を乗り越え、無事に恵与を受けた5本の梅の木はしっかりと大型トラックに積まれ、20日に本校に着いた。
梅の木が到着した本校では、卒業式前日の28日、同窓会入会式に合わせて植樹祭が行われた。
式には西高辻宮司も駆けつけた。
式に先立ち西高辻宮司は全校生を前に「思いを馳(は)せる」を演題に講演を行った。
梅の木の恵与は、東日本大震災の年に入学した生徒が卒業する前に間に合った。
新たな母校のシンボルとなった5本の梅の若木は、梅高の誇りを胸に巣立つ生徒をやさしく見守っていた。
5本の梅
恵与された梅の若木は5本。
このうち4本には「太宰大貳(だざいだいに)」「想いの儘(まま)」「黒田」「肥後駒止」の名前が付いていた。
ところが残る一本は、あえて名前のない新種が選ばれた。
福島高校で命名してもらおうという太宰府天満宮の粋なはからいだった。
命名にあたっては在校生全員で名前を考え、クラスごとの案が取りまとめられた。
最後に選考委員会(校長、同窓会長、同窓会事務局長、後援会長、担当教諭)が協議して決定した。
決まった名前は「福高(ふっこう)の暁」。
震災と原発事故からの復興の祈りを込めて「復興」と「福高」をかけて命名された。
主な経緯 平成26年~25年
| 日付 | 主な出来事 |
|---|---|
| 平成26年1月5日 | 福島民報の社会面トップ記事で門外不出の太宰府の梅、福島高に恵与が掲載。 |
| 平成26年1月6日 | 時事通信社が関連記事を全国へ配信。英字新聞にも掲載される。 |
| 平成26年1月25日 | 記念碑搬入・クレーン車にて吊り上げ設置。 |
| 平成26年2月17日 | 太宰府天満宮で恵与祭・翌日福島へ向けてトラック出発。 |
| 平成26年2月20日 | 5本の梅の若木が到着。福島稲荷神社丹治宮司による神事が行われる。 |
| 平成26年2月28日 | 福島高校で植樹祭・記念碑除幕。西高辻宮司が講演。無名の梅は「福高の暁」と命名 |
| 平成26年3月1日 | 高66回卒の卒業式挙行 |
取材殺到
平成の飛梅プロジェクトは、県内はもちろん県外の多くのマスコミにも取り上げられた。
時事通信福島支局長だった芳賀隆夫(高33回卒)は記事を全国に配信し、英字新聞にも掲載される。
BSフジテレビは1月5日付けの福島民報の記事を見て、篠木を主人公にした「一滴の向こう側」を制作した。
1月から約2カ月にわたって篠木に密着取材し、15分(全体では30分)番組を4回にわたって放映した。
同番組は再編集され福島テレビでも再放送された。
福岡県の各テレビ局や新聞各社も福島高校まで訪れ、太宰府天満宮の視点から大きく報じていた。
主な経緯 平成26年~25年
| 日付 | 主な出来事 | 平成26年3月19日 | BSフジで飛梅プロジェクトを密着取材した「一滴の向こう側」が4週連続で全国放送。 |
|---|---|
| 平成26年5月7日 | 太宰府天満宮の西高辻宮司と職員40人が研修旅行で来校 |
| 平成26年10月15日 | 太宰府天満宮の造園技能士らが剪定(せんてい)のため来校。 |
| 平成27年3月18日 | 5本の梅のうち「肥後駒止」が初めて開花。 |
| 平成27年4月11日 | 太宰府天満宮の造園技能士らが梅の成長確認のため来校・花見山訪問 |
| 平成27年6月9日 | 大七酒造が太宰府天満宮の梅で梅酒仕込む。 |
| 平成27年11月16日 | 太宰府天満宮の毛利権禰宜ら4人来校。梅の剪定を行い交流会開催。 |
| 平成27年11月21日 | 「福高の暁」献梅・事前打ち合わせに篠木太宰府天満宮訪問・献梅の場所決定 |
| 平成27年11月27日 | 同窓会総会開催。川崎会長退任。 |
| 平成28年1月30日 | 同窓会臨時役員会で新会長に渡辺会長就任。 |
| 平成28年2月12日 | 同窓会代表太宰府天満宮を表敬訪問。「福高の暁」境内に植樹。全国梅サミット参加。 |
| 平成28年4月 | 太宰府天満宮の季刊誌「飛梅」春号に、本校との絆と経緯が掲載される。 |
| 平成28年5月9日 | 川崎前同窓会長逝去。 |
| 平成28年6月9日 | 大七酒造が天満宮の梅と福島高校に贈られた梅の実を合わせた梅酒仕込む。 |
| 平成28年6月28日 | 毛利権禰宜と造園技能士の3人来福。川崎元同窓会長自宅弔問。市長と大宰府訪問打合せ |
| 平成28年7月21日 | 福島市長とミスピーチが福島の桃をもって太宰府天満宮へ表敬訪問。 |
| 平成28年11月16日 | 毛利権禰宜と造園技能士の4人来校。梅を剪定し福島市役所を表敬訪問する。 |
| 平成29年1月26日 | 恵与祭の祝詞原本福島高校へ贈呈される。額装され校長室へ掲示(3月1日)。 |
| 平成29年5月7日 | 川崎元同窓会長一周忌に太宰府天満宮から毛利権禰宜出席。 |
| 平成29年6月6日 | 昨年に続き、大七酒造が天満宮の梅と福島高校の梅の実を合わせた梅酒仕込む。 |
| 平成29年11月16日 | 梅の木剪定に太宰府天満宮から来校。 |
| 平成29年11月17日 | 太宰府天満宮関係者と本校同窓会関係者が福島第一原発視察 |
| 平成30年2月10日 | 同窓会有志による参拝団が太宰府天満宮の訪問。「色玉垣」の梅の若木の恵与受け植栽。 |
| 平成30年3月27日 | 「平成の飛梅」のエピソードが中学一年生の道徳の教科書に掲載が決まる。 |
